海原を見渡せる崖の端、
褐色の肌、ピエロのようなペイントをガーゼで隠した彼女はそこに座っていた。
元尖兵であり、俺達が戦い勝った少女。今は洗脳を解いて入院をしているはずだが。
 
『あ……やっぱり貴方だったのねラッド。まともな精神で話すのは久しぶりね。』
 
少女は海から目を離さずに呟く、
その目になんの感情も乗せないままに。
初めからわかっていた、この子があの時に守れなかったあの日の彼女だと。
向き合うのが怖くて今まで避けて来たのだ。
寧ろ此方を見ないでくれて良かった。
 
『全く……全然会いに来てくれないからやっぱり違うのかなって思ったじゃない。』
 
朝の挨拶をするかのような雰囲気のまま話し出す彼女は、数年前の彼女となんら変わっていなく、思わずこちらも何時もの調子で返してしまいそうになる。
だが、彼女は確かにあの光に呑まれた筈なのだ、見えずともわかる、あの光に……

『生きてたのかって?……私、多分死んでるよ。体が蒸発する感覚、いまでも残ってるから。多分黄泉がえりとかそういったものだと思う。』
 
黄泉がえり……死なせても貰えず、ただひたすらに駒として傀儡にされていた。
この世の理さえ無視されて、愛する人を殺した相手の為に動かされているなんて、俺では想像もできないような苦痛だったのだろう、洗脳を解かれた今なら尚更……

『ま、肉体年齢だけならあれから何年もたってないくらいよ。でも、なかなか死ねないのは辛いかな…』
 
よく見るとある程度は乾いているが病衣に塩がついており湿って、包帯も真っ赤に滲んでいる。

『私にとってカイロスを失った人生なんて考えられない、考えられないはずなの。それに、多分お腹の子もあのとき…黄泉がえりでも当然戦闘の邪魔だからって……なのに、不思議と悲しみの感情が出てこないの。
それで、『あぁ、私やっぱり人間じゃなくなっちゃったんだな』、『あのとき彼に殺されてた方が良かったな』、そういう考えが、消えなくなったの』
 
彼女の独白に俺はなんて相槌をしていたのだったか……
あまつさえ俺はこの時まで、何か情報を持ってないか、どう引き出すかと頭の片隅に出てきた打算に自覚したとき、なんとも言えない怒りが噴き出しそうになった。
自身の思考が、時として酷く醜い物にしか見えなくなってしまっている。
それなのに、この口はそれを止めずに彼女に問いかける。
憎き敵の情報を求めて。
 
『……あまり、覚えてないの。私の能力相性からあのサトリって子とずっと組んでいたし』
 
彼女は、その時初めて海から視線を外し
 
『だから他の人とはあまり会ってないわ……』
 
物言わぬ感情が揺らぎ、その瞳が僅かに湿っていく。

『……それにしても、やっぱり慰めてはくれないのね、ラッド君。』

この時、俺は再開して初めて彼女の顔を見たんだ。
此方を見て、きょとんと、すぐに昔よく見せていた、困ったような、仕方ないような微笑みを向けてくる。
見ないで、見ないで、見ないでくれ……今、俺はとても酷い顔をしているのだろうから……
心地よいぬるま湯に身を漬かせながら、復讐はおろか仇を救おうとしている俺を見ないでくれ…

彼女はまた海の方に視線を戻すと、少し震えた、しかしはっきりとした声で
 
『ううん、あのときラッド君に生きてほしいの願ったのは私たちの総意、復讐に走らなくても、幸せに生きてくれた方が嬉しい。だから貴方が私達の為にその身を削らなくてもいいのよ。……はぁ……』
 
だが…俺はそのために生きていた…それしか無かったんだ……例えそれが甘えだったとしても…それにしがみついてしか、立つ方法がわからなかったんだ…何かを救って自分を赦した気でいることだけが
 
『おばか、相変わらず一人で突っ走る癖は直ってないのね。どうせトゥーちゃんにも苦労掛けてるんだろうから言うけど。ラッド君はいつもいつも人の気持ちも考えないで自分で決めたら他は置いてきぼりで勝手に決めてフラフラ言っちゃうんだから、雛苺ちゃんも雷ちゃんもそこ心配してたのに全く気づかないんだから、それに女の子の気持ちにも鈍感すぎるわ、頭は良いのになんでそっちの方になるとのほほーんとしてるのか理解できないわ、二人やトゥーちゃんも大変そうだもの……』
 
突然の事に驚きを隠せず、数秒呆けてしまう。
先程迄の無表情から一転、捲し立てるように喋る彼女は別人のようで……いや、本来此方の方が彼女に近いのではあるが、
 
『あーあ!悲しいなー!最愛の人と、もうすぐ生まれたはずの大切な我が子が死んだのに、その事にたいして悲しみも怒りも沸いてこないなんて。』
 
明るく、しかし震え、うわずりながら声を発しているその瞳は僅かに揺れている。
俺も……俺だって楽しみだったんだ、雛苺や雷に負けないぐらいに…今だって悲しいし悔しいよ……
 
微笑みながら彼女は言った。
『ふふ…カッコつけの癖にちょっと不器用なところ、そういったところ、やっぱりラッド君ね。カッコつけついでに、少し、手を握っててもらえる?ラッド君』

躊躇ってしまう。この手に触れて良いのだろうかと、自分にこの手を取る資格なんかあるのだろうか。
でも……彼女の顔を見たらそんな事は吹き飛んだんだ、いつの間にか俺はその手を握っていた。
 
『ありがとう…………ありがとうね、ちょっとしたら……ラッド君が知ってるいつもの私になるから……』
 
だって…彼女は泣いていた、涙を溢していた。最期の時だって気丈に振る舞っていた彼女が泣いていたんだ。
手を取らないわけがない、資格なんかどうでも良かった。
抱き締めてやりたかった。
 
でも駄目だ、それをやっちゃ駄目なんだ。
彼女にそれをして良いのは俺でも、誰でもない、彼女が愛している旦那だけなのだから。

『ごめんね…だから今だけ…支えてもらえるかな…』
 
両目から静かに雫が溢れてくる。
その勢いは止まることを知らず、次第に口から声が漏れてくるだろう。
その言葉が懺悔なのか
それとも慟哭なのか
はたまた怒りなのか

 
 
  
 
この時、俺の心に何かが灯ったんだ。
今までに無かった…いや、何か置いてきた物を取り戻したかのように。

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