その日も私は、独り椅子に座っていた。
 私が成人の儀を無事迎え、森と契り――民が全員森へ還って久しい。
 森は既に神代に立ち返り、人間ならば命を蝕られる程のマナで溢れている。
 ふわふわと森には燐光が煌めくのはその証。マナの具現、生命の息吹、本来森が在るべき姿。
 穏やかな日々だ。何者にも侵害されず、森は今日も平穏で。陽光は暖かく、夜は心地よい。
 
 なんて、平和で。
 なんて、鬱屈な毎日だろう。
 こんな時は幼いころを思い出しては心を慰めるに限る。
 先の長、里の人々、彼らとの触れ合いだけが、既に私の―――――……あ、れ?
 皆は、どんな顔をしていた? どんな声を、していた? ああ、私の宝は。私が、私だった証は。
 一気に乱れた心が、周囲の木々を壊死させる。驚く樹木の聲が聞こえる――黙れ。余計な雑音を入れるな。
 
「答えよ。王の問いである」
 
 カツ、と石畳を王笏で突けば直様書物を持った近侍が現れる。
 書物の内容は、森が持つ私の成長記録を文書化したもの――違う。
 私が思い出したいのは、あの暖かさだ。徐々に消える焚き木のような、それでも縋り付きたいほど遠い優しさだ。
 思い出せない。思い出したい。臣下は誰も答えない。
 当然だ、彼らは幻灯、王のための手足である。過去の残滓であり、今を生きる民ではない。
 
「――王とは、名ばかりではないか」
 
 声に覇気がないのが自分でも分かる。
 国はとうの昔に滅びた。守るべき民は居ない。肥大化した森に攻め込む者も居ない。領土は永久に平穏であり、永すぎる平穏は精神の死を招く。いっそ死ぬか? 否、森はそれを許さない。ならばどうすればいい、どうすればこの虚しさを、悲しさを埋められる。
 そんな折、遠征をしては如何ですかと誰かが言った。臣下を喚び出した覚えはないので失せるよう命ずるが、それが消えることはない。
 
「卿、何者だ。名乗られよ」
 
「はじめまして、シャーウッドの王。私は■■■■、我が主である創造神の遣いで参りました」
 
 初めて見る異郷のものは、深々と礼をする。外の匂い、清めてはいるものの隠しきれない血と火の匂いをさせている。そして奴が出した創造神の名。人を滅し、この星を回帰させる存在。私が生まれる理由と、仲間たちが森へ還る原因を生み出した者。ガツ、と怒りの感情を混ぜながら王笏を突く。一斉に遣いの者を囲むように、まるで此処が玉座の間であるかのように幻灯の臣下達は並ぶ。
 
「手厚い歓迎に感謝を――では我が主からのお言葉を伝えます。主の下で、人間を刈りませんか? ケットシーの王国が滅んだのも、元はと言えば人間の仕出かした環境破壊が原因です。ですので、今こそその仕返しをしませんか? 何よりきっと愉しいですよ。貴女の虚しさも寂しさも、戦火に焙られれば幾分か癒えるというもの」
 
「よく回る舌だ。だが私が現状に満足している、と言ったら「退屈でしょう? 此処でずっと独り居るのは」
 
 誰かに言葉を遮られるのは、久しかった。そして図星を突かれる感覚もまた。
 ちりちりと胸の奥で火が灯っていくのを感じる。そう、此処に独り居るのは退屈で、退屈で――何より寂しい。森ではない、他の誰かの声が聞きたい。それが悲鳴でも罵声でも、断末魔でも何でも良い。私は冷えたこの胸を温めたい。ずっと此処に居ても、いつか壊れてしまうのは明白だ。であるなら、創造神の思惑に乗ったほうが愉しいに決まっている。
 好奇心猫を殺す、ならば殺してみるが良い。先に私が殺してやる。その刹那、一瞬で良い、私を楽しませろ。
 
「王様、ご返答の程を頂いても?」
 
「話を飲もう――――かつて森を穢した人間共を狩る」
 
 アルカイック・スマイルというのはこのことだろう、畏怖すら覚える微笑みを浮かべた使者は一礼して霧散する。
 シャーウッドの森も珍しく、王の選択を歓迎していた。彼らもまた、かつての痛みを覚えているのだろう。
 立ち上がれば衣類は鎧に変わる。
 一歩踏み出せば王笏は騎乗槍となる。
 歩き始めれば幻灯の臣下達は消え、何処からともなく死霊の軍勢が湧き上がった。
 擦り寄ってきた騎馬を一撫でして跨がれば、鬨の声が上がった。
 長い永い遠征の、狩りの始まりだ。
 
 
 通った後にイチイの樹を芽生えさせ、大地を侵食しながら――嵐の王は戦火を求めて進軍を始めた。
 

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