アステルくんがダンジョンに向かっているのと、ちょうど同じころ――わたしは、かねてから風邪気味だった自分をナイチンゲールさんに診察してもらう為、医務室に足を運んでいた。
 ……本当はアステルくんと一緒に行くつもりだったんだけれど、ダンジョンアタックで疲れているアステルくんに、わたしの雑務の付き添いを頼むのは気が引けたし、それに――“たかが”風邪の診察だし。

「診察……かぁ」

 ぽつりと呟いた言葉に自分が思っていた以上の不安が乗せられていることに気付いて、自分でも驚いてしまった。ティラーさんやフェリスさんが妙に脅かすようなことを言っていたから、ひょっとしたら気付かないうちに気にしすぎてしまっているのかもしれない。
 風邪はいずれ死に至るだとか――ただの風邪や咳であることを祈るとか。そんな風に言われたら、ただの風邪のはずなのに、変な悪寒がしてきてしまう。もしかしたら、失敗作のわたしならあり得ない話じゃ、そんな風に悪い方向に、思考がねじれていく。

「…………ふぅ」

 こんなことでは駄目だなと、気合を入れ直す。
 ペーチョさんにあれだけ大見得切ったんだから。アステルくんを支えて、一緒に生きて行こうってわたしが、勝手に落ち込んでしょげていたらお笑い草だ。

「失礼します」

 何かと理由を付けて踵を返したくなる弱気の自分を押し殺して、わたしは医務室の扉を開ける。

 ――――あとから考えてみれば、その時のわたしの『弱気』は単なる弱気じゃなく……心のどこかで真実を理解していた自分の『自衛本能』みたいなものだったのかもしれない。

「――――どうしましたか。また怪我ですか」

 扉を開けてすぐ、ナイチンゲールさんの鋭い眼光がわたしの瞳の奥を射貫いた。……うぅ、やはり、わたしはこの人が苦手だ。単純な恐ろしさもそうだけど、この眼光の鋭さが、特に。

「ええと……何だか最近、風邪っぽいみたいで……診察してもらえたら、と」
「入院ですか? 入院ですね?」
「ち、違いますから……! 風邪薬の処方をしてもらえれば、それで……!」

 早速入院措置をされそうになって、わたしは慌てて手を振ることで抵抗する。
 ……そんな悶着があったりしながら、どうにかこうにか問診、という形に落ち着いた。ナイチンゲールさん自身は、外科が専門なので内科で頼られても――というような雰囲気だったような気もするけれど、診察に来たこと自体に対する文句は一度もなかった。……凄い人だな、と改めて思う。

「それで、問診の方は……?」

 …………そんなことを思いながら、わたしはナイチンゲールさんの前に座っていた。五分ほど。…………ええ、その間、特に診察はなく、ただナイチンゲールさんは険しい顔をしたままわたしのことを見たり、資料棚から何かを取り出して読んだりしているだけ。
 何やら、物々しい雰囲気にその場は支配されていた。

「――――間違いない、ですね」

 どれほど時間が経っただろう。
 島の資料全部を漁り尽していたのではないかと思うくらいに、様々な資料を引っ張り出していたナイチンゲールさんが、やがてそう一言呟いた。
 その頃には、わたしの頭の中に『たかが風邪の診察』なんて甘い見通しは存在していなかった。自然、わたしの続く言葉も震えが走る。

「…………そ、れで。わたしは……わたしに、何かあったんでしょう、か……?」
「“分かりません”」

 ナイチンゲールさんは、すっぱりと断言した。

「症状自体は、貴方もお察しの通りただの風邪です。ですが――根本的な疾患原因がさっぱり分からない。ウイルスがあるわけでも、外傷が原因というわけでもないです。まるで――そう、経年劣化によってパソコンの処理能力が落ちていくような。そんな症状のように感じます」
「…………、は……?」

 経年劣化によって、処理能力が落ちていくような……って、それって、つまり、人間に言い換えてしまえば……。

「……いささかデリカシーのない言い方をすれば、『ガタがきている』――そうとしか表現できない状況です。各種内蔵機能の低下も確認できましたし」

 ……………………………………………………………………………………。

「……すみません。結論を、端的にお願いします」
「『寿命』です。このままいけば、貴方はあとおよそ二年後には99%の確率で死亡しています。健康寿命という点で言えば、もう数か月とないでしょう」

 ……………………そう、か。

 その後もナイチンゲールさんはわたしに何かを言っているようだったけれど、正直、彼女が何を言っているのかは、わたしには全然分からなかった。まるで彼女の口から放たれる一切合財が耳障りな機械音であるかのように、耳をふさぎたくなる葛藤でそれどころではなかったから。

 わたしは、死ぬのか。
 今すぐじゃないけれど――あとたったの二年で、死んでしまうのか。
 いや、違う。ナイチンゲールさんは『二年後には死亡しています』って言ったんだ。そして、今のわたしのこの症状……多分、これからきっと、わたしはこうやって体調を崩すことが多くなるんだろう。
 それで、少しずつ重症化していって……どれだけ長く生き延びても、二年後には間違いなく死んでいる。つまりは、そういうこと。だとしたら…………わたしに残されている時間は、あといったいどれくらいなんだろう?

 …………待て、待て、待て。
 残された時間? わたしは今、そう考えたの? わたしには……数えるほどしか、時間が……残されて、いない?
 嘘だ。
 そんなことはない……だって、わたしはまだこんなに元気だし、この間も模擬戦で気絶したりするほど激しく戦ったし、これからアステルくんとずっと一緒にいるんだから。“だから”あと二年で死ぬなんてありえない。

 あと二年で死ぬなんて…………そんなの、信じたくない。

 だって、まだやりたいことがいっぱい残ってる。もっと夏祭りを一緒に楽しみたいし、夏が終われば秋、秋が終われば冬、冬が終われば春、春が終われば夏、夏が終われば…………もっとずっと、生きていたい。この島の方々とは、創造神様との戦いが終われば離れ離れになってしまうのかもしれないけれど、アステルくんと一緒に……夫婦にだってなりたいし、……子どもだってほしいし…………とにかく、まだまだやりたいことがいっぱいあるのに。
 なのに、あと二年で、お別れしなくちゃいけない……?

『やっぱり、失敗作の模造品にはそのあたりがお似合いなんじゃないの?』

 不意に、脳裏にそんな声が聞こえた。
 それは、紛れもなくわたし自身の声。心のどこかではずっと思っていた、本音の欠片。
 所詮は実験動物。そんなわたしが、大手を振って幸せになるような未来が、そもそも間違っていた――ただそれだけのこと。同じような『わたし』の屍を踏み潰して生き延びた。生き延びる為に、他の誰かを殺して来た。
 どんな事情であれ――――罪には罰が必要だ。たとえ殺して来た誰かを殺さなくちゃ、わたし自身が死んでいたのだとしても……わたしが誰かを殺したという事実が変わるわけじゃない。
 だから、これはその報い。醜く生き汚い実験動物の自業自得。
 それが分かっているなら、わたしのやるべきことは分かっているはずだ。
 わたしが愛した人……わたしなんかを愛してくれた人……アステルくん。
 彼に、重荷を背負わせるわけにはいかない。死ぬと分かっている女の為に、アステルくんの時間を浪費させるようなことがあってはならない。

『だから、彼からは離れましょう。いや、この島の全てから。今ならまだ間に合うから。そうして今までの思い出を胸に、誰もいないところで独りで息絶えればいい。全ての情報を見比べれば、何が最善の選択かなんて目に見えているでしょう?』

 わたしがずっと抱えていた本音の欠片に耳を傾け、わたしは考える。
 余命二年。
 健康でいられるのは後数か月。
 愛した人の重荷になる危険性。
 過去の報い。
 それら全てを考慮に入れた上で――――

 逃げるな、わたし。

 わたしは、自分を叱咤する。
 逃げたくなるのは仕方ない。死ぬのが怖いから、逃れられない死の恐怖から目を背ける為にあえて自己犠牲的な綺麗事を並べ立てることで、自分は正しいことをしているんだと思いたくなるのは、それがわたしなんだからしょうがない。
 でも、だからって自分の気持ちから逃げちゃいけない。
 今のわたしは、ただ『死にたくない』だけじゃ、ないでしょう?
 だってわたしはアステルくんとずっと一緒にいたい。島の皆ともっと仲良くしていたい。わたしが望む未来を歩んでいたい。
 そんな思いを抱えたまま近づいてくる死を直視するのは、とても……とても、逃げたくなるくらい怖いけれど。
 だけど、そこで逃げてしまったら、きっとわたしは死ぬまで後悔することになる。

 残された余命? それがどうした、この島の何でもアリっぷりを忘れてはいけない。
 僅かな健康寿命? それがどうした、そんなもの気合でどうにかしてしまえ。
 重荷になる危険性? 笑ってしまう、アステルくんはこんなことじゃ絶対折れない。
 過去の報い? 大いに結構、全ての報いを受けた上で、それでも幸せになってみせるから。

 くだらない大義名分なんか捨ててしまえ。どこまで自己中心的でも、どこまで生き汚くても、それがわたしという一個の生命の、偽らざる“本当の”本音なのだから。
 だからわたしは――――

「……ということで、貴方にはこれから入院してもらって、」
「結構です」

 前を向いて、そう断言する。

「……わたしは、諦めません。最後の最後まで。きっと全ての問題を解決して、わたしの望む未来を掴む『何か』があると信じます。そう信じて突き進みます」
「……………………………………………………はぁ、左様ですか」

 ナイチンゲールさんは何故だか気の抜けた様子でそう答えて、それ以上は何も言わなかった。
 正直、今も怖い。
 何気なく口から洩れる咳が、わたしを蝕む死の気配なのだと知ってしまったから。既にわたしは、首筋に鎌の刃を当てられた状態なのだと悟ってしまったから。
 それでも、わたしは歩いて行かなきゃいけないんだ。その先にしか、わたしの望む未来はないのだから。

「では、とりあえず風邪薬を処方します。症状自体は『ただの風邪』ですから、これで体調不良は改善するでしょう。ただし、これはあくまで対症療法。すぐに処方は追いつかなくなると思ってください」
「ありがとうございます。……それでも、諦めませんので」
「では私にできることはこれまでです。私はあらゆる患者を殺してでも治す――つもりですが、馬鹿につける薬だけは持ち合わせていませんので。…………何せ、馬鹿は死んでも治りませんから」

 そう言うなり、ナイチンゲールさんはいっそ薄情なほどにわたしを医務室から叩き出してしまった。……せっかくの延命措置(だと思う。話はあまり聞いていなかったけれど)をふいにしたのだから、怒られるのも当然だと思うけど。

「…………余命、余命かぁ」

 改めて口にすると、今までよりずしりと肩が重くなったような気がした。
 けれど、心は今までよりずっとずっと軽い。『本音の欠片』はまだ喉に刺さった小骨のように残っているけれど――だからといって、前に進めないわけじゃない。
 今のわたしなら、そう断言できる。



 ………………………………あぁ、なんだかとても、アステルくんの顔が見たいな。






#コメント
外典でやるべき内容か激しく悩んだのですが、スレでやったらとんでもないことになりそうだったので……お許しください。

このページへのコメント

外典お疲れ様でした。
暴かれた真実を知り折れかけるも、今までの経験と愛する人のおかげで乗り越えましたか。
こちらも相談に乗ったり、できることなら手伝いますので頑張ってください!
ところで島のなんでもあれっぷり…まぁ、うん。否定できないのが…

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Posted by ティラー 2017年01月02日(月) 23:21:45 返信

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