「その力を以って愚かな人類を滅却せよ」

創造神は語りかける。何度も何度も飽きることなく語りかける。
それは失うには惜しいもの。それは己の被造物の中である種の最高傑作とも言えるもの。

それは天を覆い隠すほどに育った巨大な樹々の間を悠々と歩いている。
まるで創造神の言葉に耳を傾けることはない。

その体高は五メートルを超え、体長は非常に特徴的な九つの尻尾も合わせると二十メートルを越えている。
新雪を思わせるような白い体毛で覆われた犬にも似た顔。顔以外の、全身を覆う体毛は実り豊かな稲穂畑を彷彿とさせる金色に染まっている。
巨大な身体を覆い隠せるほどに長く、そして大きな九つの尾も合わせ、その姿を見た者が伝承や伝説に詳しければ皆がこう答えるだろう。
白面金毛九尾の狐。であると。

先程から創造神が語りかけているのは白面金毛九尾の狐をモデルとし、手ずから創り変えた九尾の魔獣。
曰く、人類が必要としなくなった廃棄物が集まるゴミ溜めの中から掬い上げた、宝石のような逸材。
曰く、名のある神すら滅ぼしうる可能性すら存在する、人類殲滅兵器の最高傑作。
曰く、今後の魔獣の扱いを決定づけた歴史的な存在。
しかして、その正体は神の言葉が尽く理解できない最高に脳筋な馬鹿である。

現在も巨大な樹々が立ち並ぶ樹海を神の言葉を無視して歩いている九尾。
そろそろお腹も空いてきて、大きな魔獣を狩りたい時間帯。
風に運ばれてくる獲物の匂いを嗅ぎ取りながら、静かに移動しているその時である。
何処からともなく樹々を揺らすような爆発音が森に響き渡る。
同時に嗅いだことがない美味しそうな血の匂いが大気に満ちるのを感じた。

九尾は素早くその場所に駆けつける。それは物理法則の許にいながら光速に限りなく近い速度であった。
愚かな人類への憎悪を植え付けるために人類数千年の記録・知識を与えられていながら、ほぼ全て忘れてしまう頭の悪さと引き換えに得た純粋な力。
およそ物理法則の範疇であれば、あらゆることが成せるであろう物理的な強さを極めた魔獣が出す速度の地平。
韋駄天の如く走り抜け、辿り着いたその場所は樹海にぽっかりと穴を開けたようなところであった。

「っ……これは……」

九尾に語りかけていた創造神が息を呑むような声を発している。
そこには樹海に似つかわしくない荒野が数キロメートル渡って広がっていた。
荒野に出た瞬間、九尾は姿勢を低くしてその中心部にいる存在を警戒する。

それは世界各地で神代より幾多の英雄を葬り去った存在。獣が持つ暴威を凝縮して形にした、YAMAに住まう力の化身。
禍々しい瘴気を身にまとい、オリハルコンをも凌ぐ黒壇を連想させる茶色と黒が入り交じる分厚い毛皮を持つ、神に例えられしもの。
体高は九尾の倍を超える十メートルほど。全長は二十に迫る十八メートル。
ずんぐりとした胴体に、それと比較して短い四肢。つぶらとも言える小さな目と円盤状の鼻鏡に大きく開いた鼻の穴が特徴的の豚に似た生命。
天を突く巨大な牙を携えたそれは豚ではなく、猪。いや、正しくはINOSHISHIと呼ばれる強大な魔獣である。

INOSHISHIの周囲には創造神が人類の生き残りを殲滅するために結成した神の部隊と思しき残骸が散乱していた。
此処にいたのは無名の神が十数体、新たに作った尖兵と神兵と呼ばれる存在を数百。その配下として集めた魔獣を含めると千を超える大部隊。
それが細切れの屍となり、土の肥やしにするかの如くばらまかれている。
別にINOSHISHIとってそれは意図したことではない、ただ獲物が脆いからそうなっただけ。
無造作に振るった一撃で五体がばらばらに吹き飛び、神の与えし武具諸共勝手に引き千切れていっただけである。
INOSHISHIが残酷であるということはない。一部は粉微塵となり、食べる部分が減って、むしろ悔やんでいる節すらある。

比較的に原型が残っている無名の神をルーンの刻まれた槍ごと喰みながら、INOSHISHIは新たな獲物にちらりと目をやる。
ゾクリと背筋に悪寒を感じるのを九尾は自覚した。この肉体となって二度目の、自身と同等かそれ以上の存在との邂逅。
一度目はあれよりずっと小さい身でありながら、その極限以上にまで研ぎ澄まされた速さで大空を支配していたTSUBAMEと呼ばれる存在。
九尾は彼の大空の覇者と対峙した時の事を思い出す。攻撃は微塵も当たらず、その身体をずたずたに裂かれながらも何とか逃げおおせた苦い経験を。
あの時よりも九尾は力の扱いが上手くなり、強くなっている。だが、またTSUBAMEと対峙してもどちらが勝つか分からない。
そんな強敵と同質の気配を九尾の鋭敏な感覚器が捉えているのだ。

「逃げなさい。今ならまだ間に合います」

先に仕掛けたのは創造神の言葉を理解できない九尾の方。
悠長に獲物を喰んでいるINOSHISHIに長く伸ばした九つの尾を雷霆如き速度で叩きつける。
込められた力は極大。当たれば神代の金属だろうと塵になるまで砕け散るほどの九つの打撃。
しかし、INOSHISHIは悠然と佇み、無抵抗にこの攻撃を食らう。

ピクリとも動かなかった。
その身に纏う瘴気の壁を突破して、毛皮をしたたか打ち付けたのに関わらず傷一つない。
達人が巨大な山に拳打を放って、それを傷つけることが出来るだろうか。
昔ならいざ知らず、今なら出来るものもいるだろう。だが、それはごく一部の例外、達人を超えた鬼のような者たちだけの話である。
それと同じだ。九尾は通常の生物の限界を超えた肉体能力を保有していようと未だ十に満たぬ齢。
力の使い方がなっていない。そのINOSHISHIという強大な山を破壊する達人以上の鬼と化してはいない。

鬱陶しいそうにINOSHISHIはその場で独楽のように回転する。
毛皮を打ち付けて止まっていた九つの尾が迫りくる牙に引き裂かれ、辺りにばらまかれる。
九尾は巻き込まれないように根本から尾を切り離して、INOSHISHIの元に光に限りなく近い速さで駆け寄る。
尾が駄目なら爪と牙で対抗しようという算段だろうか。創造神に九尾の考えは読めない。

回転を止めたINOSHISHIは己の元に駆け寄る九尾を確認すると後ろ足に力を込めた。
瞬間、INOSHISHIの後方が爆発する。光を超え、神速の域に足を踏み入れた速さで九尾に向かって突進してきたのだ。
九尾の攻撃など端から眼中にない。真正面から諸共に打ち破ってくれよう。そんな考えが滲み出ている攻撃だ。

実際、九尾の攻撃などINOSHISHIには殆ど通じない。仮に通じたとしてもそれは毛を削ぐだけで結果で終わるだろう。
九尾は特大の馬鹿ではあるが、理解力に欠けているわけでない。むしろ物事の本質を見る目は優れていると言っていいだろう。
余計な知識がないからあるがままを見れる。本能が強いから本質的な部分を感知することができる。
注意深く聴き、全体を万遍なく観る。過酷な終末期の野生で生きるには必要な技能だった。
その九尾が真正面からINOSHISHIの猪突を受ける訳がない。

INOSHISHIが力と堅さで押し潰すのなら、九尾は速さと技で対抗する。
九尾の速さはTSUBAMEには劣るが、それでもINOSHISHIよりは速い。
光速を遥かに超え、神の領域を踏破せんとする速さを用いて、INOSHISHIの馬鹿げた力が込められた猪突を躱す。

INOSHISHIと九尾が擦れ違う。INOSHISHIは回避動作に合わせて頭を振り、九尾に牙を当てるが、それは肉を僅かな肉を削ぎ落とすだけに終わった。
傷つきながらも回避に成功した九尾がにやりと笑う。その顎を開けて、口内に凝縮していた小さな黒い球形の光をINOSHISHIに向けて撃ち放つ。
尾で攻撃した時とは違う。九尾の体内に存在する純粋な力を圧縮した極彩色の光の粒を撒き散らす黒色の光球は、堅固な要塞を押し固めたようなINOSHISHIの強大で巨大な肉体を触れた所から消滅させていった。
攻撃を終え、すれ違いの勢いそのままに距離を空けて、互いに素早く相手へ向き直る。

九尾は胸の辺りが痛々しい一筋の裂傷が走っている。
対してINOSHISHIはその全長十八メートルの身体には人の頭、三十センチメートルほどの深い球形の傷が刻まれていた。
九尾、INOSHISHI、共にそれは瞬時に再生される僅かな傷跡だ。相手の傷を確認した二体共、次の瞬間には傷のない綺麗な身体へと再生されている。
九尾には九つの尾も生えて、まだまだ戦闘を継続できる体力も残っている。INOSHISHIはその肉体に迸る力を使い、禍々しい瘴気が寄り集めて治療と同時に傷跡をさらに堅固としていた。

「…………」

創造神は驚愕している。己の最高傑作に自信がなかったわけではない。頭の悪さを除けば、現時点で九尾は己の中で創り上げた魔獣の頂点に君臨していると言える。
物理的な強さで言えば、遥か太古の時代より住む竜や神鳥、神代の魔獣に匹敵する存在であるということは確実だった。
人類に味方するそれらを葬りされるように存在を根底から打ち砕くほど力を与えたのだ。当然と言える。
しかし、どんな世にも規格外というものが存在する。今戦っているINOSHISHIや大空を翔けるTSUBAMEのような神の意図せずして生まれた強大な魔獣もその中に入るものだ。
名のある神に匹敵する速さで世界を翔け、ただの一撃が英雄の守りを打ち砕き、神の歴史に名を連ねるものの、幾千の屍を積み上げてきた。
これら、規格外と比べたら九尾などそこらの有象無象と変わらぬ。そう思っていたのだ。
頭の悪さを除けば、九尾は創造神の予想以上の力を保有するに至ったと言えよう。これでまだ発展途上なのだ。
もう少しだけ期待しても良いと言えよう。諦めず、これからも話しかけてみるとしよう。
だが、まずはこの戦いを何とかしなければならない。創造神は己の被造物のために自ら動き始める。
九尾はINOSHISHIとの戦いで散らせるには惜しい奴だ。

創造神の想いを知ってか知らずか、九尾は再びINOSHISHIに向かって駆ける。
その口の端から極彩色の光の粒が漏れ出ているため、何を狙っているかは明白だろう。
INOSHISHIは九尾について認識を改めていた。これは単なる獲物ではない。己を傷つけ、僅かながらにでも殺しうる可能性を秘めた敵であると。
油断はもうしていない。排除すべき敵として相手をしてやると。

INOSHISHIは己に近づく九尾を無視して両前足を振り上げる。身体を大きく仰け反らせ、後ろの二本足で立ち、頭を天に向けるほどの大きく振り上げる。
目前まで近づいてきた九尾が黒色光球を放つ寸前。INOSHISHIは大地を割るかのように両前足を打ち下ろした。
此処で九尾の経験のなさが露呈したと言えよう。この動作の意味を理解し、回避していれば良かった。だが、誰が予測できるだろうか。
両前足が打ち下ろされた大地から太陽が出現するなどと、誰も。本能的に本質を見抜く九尾も予想できなかっただろう。
九尾はそのINOSHISHIを上回る速さで猪突を含めた物理攻撃を回避する準備をしていた。
それを見越して、INOSHISHIは周囲の大地を灰燼にすると決めた。

INOSHISHIを中心として数十キロメートルの大地がオレンジ色を通り越して白へと変化していた。
表面温度約六千、中心部に至っては一千五百万度。あらゆる物質を気体を通り越して、プラズマに変化する灼熱地獄。
九尾には突然、地より光が溢れたようにしか認識できなかった。

地球でありながら、天に太陽と同様のプロミネンスが発生している。
発生源は当然、九尾とINOSHISHIが戦っていた場所。
未だ、暴力的な熱が渦巻く表面がどろどろの大地の中心に、毛の先ほども被害がないINOSHISHIが相も変わらず悠然とした面持ちで佇んでいる。
その視線が向けられているのは全身を黒く焦がしながら、なおも生きている九つの尾を持つ狐。
咄嗟に九つの尾で自分を包み込んで、全力で力を注ぎ込んで防御したのだろう。
それでも太陽は尾を焼き尽くし、身体を黒く焦がしていた。

ぼろぼろと黒くなった肉を落としながら、九尾はどろどろの大地で再生していく。
身体は綺麗に元に戻ったが、消耗が激しいようで少し震えているようにも感じる。
九尾の戦意は衰えていない。此処で逃げたとして先程のような未知に手段で殺られることを本能的に理解したからである。
元よりその力を薄々感じていた九尾は出会った時から逃げるつもりなどない。血に誘われ、荒野に出て、INOSHISHIに見つかった時より生き残るために戦うことを決意していた。
僅かな望みに賭けて、己のできる最高の攻撃をINOSHISHIに叩き込む。口内にはあらゆるものを消滅させる力の塊、黒色光球を圧縮し続けている。

九尾が光を遥かに超える速度でINOSHISHIに接近する。
INOSHISHIもそれを迎撃しようと体色を白く変化させて、新たな攻撃を繰り出そうとする。
神代に刻まれるであろう両者のぶつかり合い。それは予想外の形で終わりを告げる。

ぶつかり合う寸前、互いに攻撃を中断して遥か彼方まで跳び引く。
刹那、両者の目の前に奇妙な轟音と共に目にも留まらぬ何かが通り過ぎ、黒いカーテンが掛けられた。
黒のカーテンは直ぐ様消えてなくなり、そこに残ったのは深い、本当に深い溝であった。
まるで巨大な刃物で大地を傷つけたような傷跡。固まりきらない大地に刻まれた底の見えない深い奈落。
それを刻んだものを確認しようと両者が相手の気にしながらも空に目を向ける。

小さく旋回しながら、此方の様子を伺うように飛ぶこれまた小さな鳥。
全体的な体色は藍黒色、喉と額が赤い。腹は白く、胸に黒い横帯がある。
尾は長く切れ込みの深い二股形で、この尾の形をツバメにちなんで燕尾形と呼ばれるもの。翼が大きく、飛行に適した細長い体型。
その小さい体躯には九尾やINOSHISHIに勝るとも劣らない力が凝縮されている。
光を遥かに超えて、神速を超越し、速さの極地へと至った魔獣。分身し、時間を逆行し、空間を引き裂く。
正しくそれは大空の覇者。九尾がかつて敗れ去り、何とか逃げおおせたTSUBAMEそのものである。

「何とか間に合いましたね」

そう、これを連れていたのは創造神。その速さ故に何処を移動しているか認識されるTSUBAMEをその力を以って此処まで呼び寄せたのだ。
代償として神のみが使用できる万能の秘薬を分け与えることとなったが、九尾を救えるのなら些細なことだろう。
使えぬ無名の神に使うより、有用な九尾に使う方が良い。そう思ったからだ。

創造神が連れてきたTSUBAMEの介入により戦いは止まった。
INOSHISHIとてTSUBAMEの相手をすることは容易ではない。ましてや己を殺しうる可能性を秘めた九尾と一緒にいる時など戦いたくはない。
戦闘体勢を解かない九尾を他所にTSUBAMEを忌々しげに見つめるとINOSHISHIはのっそりと身を翻して樹海に歩いていく。
九尾がその背中を狙うことはない。TSUBAMEの登場により見逃されたということが理解できたからである。
九尾はTSUBAMEに目をやろうとすると既にそこには何も飛んでいなかつた。
約束の神の秘薬を受取にいったのだ。
ほっと一息つく九尾。これからは相手をできるだけ遠くから確認して襲うことを決めようと決意するのであった。

疲れと空腹に苛まれながら、九尾はINOSHISHIとは真逆の樹海に歩いていく。
創造神は今後、これらの例外的な存在と戦う手段と九尾をどのように従われるかを思案する。
なお、九尾の方は頭が致命的に悪く、後に人間へ裏切ってしまったのでそれまでの手間が全て水の泡と化すのはまた別のお話。

このページへのコメント

私もTUBAME、INOSHISHIに並ぶ生き物を…!

0
Posted by ラケル 2016年09月22日(木) 22:34:52 返信

おかしい、日本ってここまで魑魅魍魎に溢れてたのか・・・!!

作成お疲れ様でした。

0
Posted by 安藤竜 2016年09月22日(木) 21:55:58 返信

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

どなたでも編集できます