※ほんの少しだけエグイ描写があります。

 最初にあったのは、無機質な空間だった。
 十数メートル四方――のちに知った『教室』と呼ばれる領域程の広さを持つそれは、同じく無機質な材質の壁や床、天井で区切られていて、その中には同じ材質の机や椅子、ベッドがあるきりだった。
 わたしが一番最初に目を覚ましたのはそのベッドの上で、わたしは無機質に包まれてこの世界に生まれた。
 そしてそこが、わたしにとっての世界の全てだった。

 そこでの出来事は――知識としては記憶しているけど、思い出としては、あまり覚えていない。ただ、覚えているのはわたしが『試されて』いたことと、そしてその『試し』の結果があまり芳しくなかったこと――『試し』の結果が悪くなるたび、わたしを『試していた』人達は嫌そうな顔をしていた、ということ。
 それと、休憩時間に与えられた、昔話の絵本の内容くらいだった。

 いったいどれほどの間『試されて』いたのかは、全然分からない。来る日も起きて、『試されて』、寝ての繰り返し。当時のわたしは、日付というものを絵本の中にしか存在しないものだと思っていたくらいだった。
 でも、そんなわたしでも時間の経過という概念が理解できるほどに、わたしを『試す』人達の機嫌は日ごとに悪くなる一方だった。

「今期も結果が出せなければ――」
「実験体が多すぎて――」
「王立府からの圧力が――」
「維持費が――」
「予算が――」

 ……今なら、彼らがどんなことを言っていたのかが分かる。おそらく、わたしが実験体となっている実験計画の結果が芳しくなく、このままでは研究所全体の運営すら危ぶまれる、ということだったのだろう。後から知ったことだけど、わたしの他にも実験体は大勢いて、そのせいで研究所の経営も少なからず圧迫されていたらしい。
 でも、当時のわたしはそんなことは全然分からず、ただただ『試されて』いるだけだった。

「――駄目だ駄目だ! 何故内包魔力量は人間の最大値を大幅に超えているのに、それを放出させられない!?」
「ひっ……す、すみません……」
「すみませんではないのだ! くそ、どいつもこいつも再現は完璧のはずなのに、何がおかしいというのだ……! この失敗作が!」
「すみません、すみません……」

 来る日も来る日も、実験は失敗の連続。日に日に余裕がなくなっていく研究者からは、失敗作の烙印を押されて罵倒され続ける日々が続いた。いつしかわたしは、実験を成功させることよりもいかに研究者の怒りを宥めるかの方に力を注ぐようになっていた。

 そんな、ある日のことだった。

『――――これより「選別」を始める』

 いつもよりも大きめの部屋に呼ばれたわたしは、スピーカー越しから聞こえる研究者の声に、びくりと肩を震わせていた。
 体育館ほどもある室内には、わたしの他に、わたしと同じ顔形をした少女達が、実に40人ほど。今まで出会ったことはなかったけれど、おそらく彼女達もわたしと同じ『実験体』だったのだろう。

「あの……よろしくお願いします」
「あ、こちらこそ……よろしくお願いします」

 もっとも、この時のわたしは、呑気に『同じ顔の子達がいる。友達になれるかなぁ』なんてことを考えていたのだけれど。
 でも、次の瞬間、そんなわたしの呑気な思考は永久に凍りつくことになる。
 何故って?

 たった今挨拶をしていた少女の頭が、ピンク色の泡みたいにはじけ飛んだからだ。

「…………へ?」

 ぴしゃり、とわたしの顔に何かがかかった。
 それは多分、目の前にいた彼女の脳漿だった。
 よろしくお願いします、と言葉を交わした相手から、自分と同じ顔をして、同じ服装をした、同じ姿の少女の身体から、明確に生命が失われる。頭を下げた体勢から、がくりと膝が折れ、それこそ本当に――糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
 投げ出された四肢は、まるで生命の残滓のようにぴくり、ぴくりと弱弱しく震えていて、首から上には黄色い脂肪と、白い歯が何個か残った下顎が残って――――、

「ひ!? ぎぃ、や、ぁあああぁぁあああ…………!?」

 思わず腰が抜けて尻餅を突いたその瞬間、今までわたしの頭があったところを、銃弾が掠めた。運悪くわたしの後ろに立っていたわたしと同じ顔をした誰かが――わたしだったかもしれないわたしが、ピンク色にはじけて飛び散った。
 恐慌状態に陥ったわたしは、のたうち回りながら這って逃げた。途中、銃弾が飛んできた方目掛けて飛びかかるわたしや、その場に座り込んで祈り始めてしまったわたしもいたけれど、皆ピンク色に弾けて消えてしまった。
 わたしは、血と脳漿と、頭蓋骨の欠片に塗れながらも逃げた。
 あるわたしは、呆けた表情のまま現実を何一つ理解できずに弾けた。あるわたしは、他の誰かを庇おうとしてそのわたしごと弾けた。あるわたしは、恐怖のままに走って逃げようとして、そのまま弾けた。わたしはわたしはわたしはわたしは――――はじけて、死んだ。
 多分、わたしが生き延びることができたのは、その醜い生き汚さゆえだと思う。這って逃げたわたしは全身が血肉に塗れていたから、研究者がわたしのことを認識できなかったんだろう。

 命からがら通路へ出て、それからわたしは、自分が五体満足であの銃撃から逃れたことを悟った。震える足で立ち上がったわたしは――そこでふと、背後で何かが落ちる音を耳にした。
 振り返ってみると――それは、死んでいったわたし達の残骸だった。這って逃げているうちに、撒き散らされたそれらがわたしの背中の上に降り注いでいたのだろう。
 目、鼻、舌、歯、髪、肌――――ピンク色の脳漿や、黄色い脂肪に塗れたそれが、一つの顔となって転がっているように、わたしには見えた。
 そして『わたし達』は、一人生き残ったわたしにこう言うのだ。

『「わたし」と「わたし達」、何が違うの? 「わたし」だって「わたし達」と同じ、ただの失敗作だったのに――――』
「うぁああああああああああああァァァあああああああああ!!」

 わたしは、二もなく『わたし達』の顔を蹴り飛ばした。
 ただの死体の破片たちは、ばらばらと乱雑に散って、実験場に広がる血肉のプールの一部に還っていった。

「…………生き残りは……一人か。選別は完了だな、お前、番号は?」

 そんなわたしの背中に、研究者の声がかけられた。
 話していた内容なんか、聞いてなかった。振り向いたわたしの眼には、その研究者が握っていた黒い武器しか――わたし達を殺した武器と同じような形のそれしか見えていなかった。

「ひっ……」
「……と、怯えるな……と言っても無理な話か。だが暴れるなよ、暴れるようならここでお前を処理することも認められている。一応生き残ったとはいえ……『レシピ』は残っているし、所詮は失敗作だからな」

 そう言って、研究者はわたしに銃を向けようとした。
 そこで、わたしの中の何かが『切れた』。

「――あ、ぁ、あ゛ァァあああああああああああああああ!!!!」

 多分それは――死の恐怖、と呼ばれるトリガーだったんだと思う。体内にある人外の魔力量をそのまま体内循環させたわたしは、それによって得られた強力な敏捷性そのままに、研究者に肉薄した。

「!? 何を――」
「ぅあ゛ァ!!」

 すぐさまわたしは、武器を持った研究者の手を薙ぎ払った。ぶちっ、という音がして、研究者の手は握った武器ごと横合いの壁に叩きつけられる。――もちろん、本来あった手首からは完全に分断されて。

「なっ、ぎっ? がっ、おまっ、何してっ――ばぐゅっ」
「ぅう゛ゥ!!」

 そのまま、わたしは事態を理解できていない研究者の頭を殴りつけた。顔の中心を殴られた研究者は、大勢のわたしと同じように……ピンク色の泡みたいに弾けて死んだ。白い歯が中途半端に残った下顎から、真っ赤な血を噴水みたいに吐き出して――そのまま横倒しになって死んだ。
 彼の最期を見届けることなく、わたしは横倒しになった肉の塊を跨いで、走って逃げた。通路に設置された監視カメラは一連の全てを捉えていて、研究所ではわたしの反逆を伝える警報が鳴り響いていたけれど――何故だか急上昇したわたしの膂力は、そもそも壁すら殴って壊せるほどのものだったから、研究所の封鎖はあまり関係がなかった。

 わたしは逃げて逃げて逃げて逃げて――――そしていつしか、冒険者と呼ばれる身分になっていた。
 物語の中のお姫様のように、助けを待っているだけでは――――大勢の『わたし』のように、すぐに殺されてしまうから。
 最初は、酷かった。人間というものが怖くて、武器を見るだけで半狂乱になったせいで、わたしは危険な存在として国中に知れ渡ってしまった。
 海を渡って大陸の国々を旅していく中で、少しずつ普通の常識を覚えて、武器の扱い方を学んで――そして治癒神の神官団の方々に出会って、人間が怖いだけではないということを教えてもらわなければ、多分今のわたしは存在していないと思う。
 そうして神官団の方々についてこの島にやって来てからは、わたしの生活は、賑やかながらもそれなりに穏やかなものになっている。

 それでも、未だにあの声が聞こえることがある。

『「わたし」と「わたし達」、何が違うの? 「わたし」だって「わたし達」と同じ、ただの失敗作だったのに――――』

 分からない。失敗作だったのに、何故わたしは死んでいなかったのか。わたし以外の誰かでは駄目だったのか。わたしが此処に生きていることに、何の意味があるのか。
 実験の為に生み出されたわたしは、失敗作の烙印を押された時点で生きるべき意義は失われている。なのにわたしは死にたくないと思い、死を恐れ……屍を踏み潰し、他者を殺めてまで生に縋りついた。
 そんなわたしの生きる価値とは? 出来損ないの模造品の存在意義とは?
 …………分からない。でも、不思議なことにこの島にはわたしの存在を否定する人は一人としていない。誰もわたしを失敗作とは呼ばないし、わたしを拒絶する人もいない。わたしは、此処が好きだ。暖かい此処の生活が好きだ。
 なら――――この島の仲間を守ることを存在意義にしようと思う。
 出来損ないの模造品でも、中途半端な失敗作でも、仲間を守る盾くらいには、なれると思うから。

このページへのコメント

生きたいから、生きているからで足りないならば。
死んだ総ては自分の為に有るのだと断じないのならば、
・・・シンシアさんが存分に悩み、その先に良い答えを選び出しますよう。

0
Posted by クロマツ 2016年12月28日(水) 23:06:31 返信

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

どなたでも編集できます